2007/09/27

兵庫:播磨エリアでのモーニング


義父が他界したということが、まだ私たちはまったくピンと来ていなくて。

去年8月の人間ドックで肺がんが発見され、病巣を綺麗に取り除いて手術は成功、
年末年始はその後の治療からの回復も順調で、春には職場に復帰し、
義祖父(義父の父)の葬儀も立派にあげて、私たち家族一同は
義父が健康を取り戻したさまを、心強く思っていたものでした。

毎月の検査をきっちりとこなす中、7月に突然、転移が発覚。
残されたシビアな数字を私たちは知りました。
抗がん剤がまったく合わず、治療がもう出来ないとのこと。

しかしながら、普通では考えられないくらい前向きで理性的な義父だったので
もしかしたら大丈夫なんじゃないかと、祈るように思っていました。
9月3日まできちんと仕事をこなして、療養生活に入りました。

義母に聞いたエピソードには枚挙にいとまがないのですが
例えば、余命宣告して下さったドクターになんとねぎらいの言葉をかけたとか。
「貴女は僕を助けてくれようとしていたのに、余命を宣告しなければならないなんて
つらい職業ですね・・・ありがとうございます」と。
「貴方を助けられなくてごめんなさいね・・・」 とドクターは号泣したそうです。

かねてより死に方のコツと云う本を読み、私もかくありたい、と
思っていたものでしたが、父は既にこの本にあるような精神で、
限りなくできうることをやってきたようで、感嘆するばかりです。。。

通夜・告別式では、「最も父らしく送るには・・・」と息子二人で考え、
大好きだった球団の応援歌を流すことにし、
義父の学生時代の友人たちがそのカラオケをすぐに手配してくださいました。
勇ましいこの曲は、悲しみに包まれる中、義父の旅立ちへの応援歌にもなったことでしょう。

幅広い年代の大勢の方々がお悔やみにいらして頂いて、
義父がずっと大事にしてきたことは、人とのつながりだったんだなあとつくづく感じました。
私は長男の嫁なので、この輪の中では新参者。
もっともっと色んなことを教えて貰いたかったなあ、と残念でなりません。

末期がんは痛みが激しいとは聞いていましたが、ある時点ですっと痛みは引いたそうです。
理由は判らないにしろ、それはとても救いでした。
義両親と私たち夫婦で、海辺のリゾートホテルに出掛け、
私たちに食べさせたい魚料理を出す店に連れて行ってくれた時

相当つらい時期だったとは思いつつも、いつもより食が進み、話もし、と
親子としてのとても温かい時間を、過ごさせて貰いました。

告別式の朝、義叔母夫婦と義伯母、私たち夫婦とでモーニングを食べに行きました。
この辺りは隠れた!?モーニングが盛んなエリアで、
昼の定食かと見まごうほどのボリュームで、モーニングメニューが出されていました。
飲み物つきで800円くらい。
体力つけなければ・・・なんて云いながら、みんなで頑張ってもりもり食べて。
コーヒーが大好きな義父もよく、休日に新聞が豊富な喫茶店に出掛けては、
朝昼兼用のモーニングをゆっくり楽しみつつ、全ての新聞に目を通すのが好きだったよう。

旅立った晩は、中秋の名月がとても綺麗でした。
毎年きっと義父のことを想い出すに違いありません。
実父を亡くして久しい私には、おとうさんができた、と物凄く嬉しかった。
ありがとう、おとうさん。